Bella Giornata

晴れの日も雨の日も電波を撒き散らし続けるチラシの裏系ブログ兼備忘録

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後悔のないように

どこぞの社員の方にお会いしたりすると、最後によく、「じゃあまあ、大事な時期ですから体に気をつけて、後悔のないようにがんばってください」というようなことを言われます。

後悔のないように…よっぽどのことがない限り、複数の選択肢があるときに初めから後悔すると分かっている方(要するに望ましくない方)の肢を選ぶ人はいません。というか、それは"初めから"の時点で"後"悔じゃないし。
そうすると、"後悔する"ということは大きく2つに分けると全てのカードが明いた状態でその時点ではマシだと思っていた選択肢が後にそうでないことが判明した場合と、まだ伏せたままのカードがあるのにある選択肢を選んで、あとで伏せてあったカードのほうが良かったんじゃないか?と思う場合があると考えられます。

それって今の段階で私がどうにかすることによって防ぐことができるんでしょうか。せいぜいが、ベストを尽くしたと思い込むことによって"これ以上の選択肢はなかった"とか"がんばったんだから悔いはないはずだ"とか自分に言い聞かせるぐらいが関の山でしょう。
飛躍するならば、少なくとも私レベルの人間にあって、後悔しない人生なんてうそ。どうしようもなく未来志向で過去のことなど一切顧慮しないか、どうしようもなく足りなくて過去に取り得た選択肢に思いを致すことができないようでないかぎり、そんなことあり得ないんです。私はそもそもが無反省な類に属する人間なので、人生は後悔の上に成り立っているとか、反省の上に成り立っているとか言うことには抵抗がなくはないですが、それでも、そういう一面はあると思います。そして、それを糧にしてか、糧にするでもなくただ抱えてかして人は生きていくんでしょう。

最近はまっている作家に白石一文がいます。彼の短(中?)編集不自由な心の3つめのストーリーの中にこんな一節があります。

人はさ、なかなか正直になれないだろう。自分の気持ちにも人に対してもさ。こうやって、この飛行機が落ちてもう死ぬかもしれないなんて状況になって、なりふりかまわなくなって、何も本当に恐いものがなくなって、そしてさ、もう時間がなくなって引き返すことなんかできないって、そう分かった瞬間にさ、今の俺みたいにみんな正直になるんだね。ほんと馬鹿みたいだけど

他人に告白するしないは別として、死ぬ間際になって、ああしておけば良かった、あの時こうしていたら今頃は、と思うのが人というものでしょう。
とりあえず、今のままだらだら行くと一生抱えるような、そういう後悔を伴うような決定的な決断を一度として下さないまま一生を終えてしまいそうなので(したがって、どのようにして今日今わの際に至ったかも分からないまま死ぬんでしょう)、なんとかここで一度、重大な決断を下すに値する就職活動をしたいと思います。(え、いまさら何の決意表明ですか?遅すぎ…)
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  1. 2005/03/30(水) 23:03:31|
  2. Recruit|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:4
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コメント

なるほど

後悔したところで意味があるのかどうか疑問。「悔」という字からはマイナスなイメージしか持てないなぁ。「悔いが残らない」ことがベストと考えてるうちはそうなんだろうか。多少悔いが残ったほうが人生の糧になる、と開き直る方法もあるんだろうけど、「悔い」という言葉が精神的にマイナスの状態を表している以上、悔いを残した自分への言い訳であると感じてしまうわ。
結局、後悔してからでは遅いのかも。後の祭りにならないと予測できるある程度の妥協案をのんで、その後の状態に人生における最大の満足を見出すことで後悔を完封することが「後悔しないこと」なのか。もっとも、その予測が的外れで最大の満足が得られなかったとしたら後悔することになるが…
ということは、つまり「後悔を妥協でカバーできる許容値を認識し」て「人生設計時点で予測を誤るな」ということですかね。自尊心が高くて自信過剰な人ほど後悔する可能性が高いような気がする。
数式で表せそうだけれど面倒なので妥協しよう。ちょっと後悔するかもしれない…
  1. URL |
  2. 2005/
  3. 03/30(水) 23:57:02 |
  4. -1-1 #-
  5. [ 編集]

妥協して最初から低くしたハードルをちゃんと飛んだって、後で考えてみればもっと高いハードルを設定すればよかった。って思うんだよ。きっと。
こんなこと言うのはどうかと思うし、-1-1のことを指してそうだと言うわけでは全くないけれど、そこで高いハードルを設定すればまた違う自分がいたかも、と思わない人はきっとどんな状況でもそれなりの最大効用を与える点(それなりと最大はあきらかに矛盾しているけど)を見つけて現状に満足できる人だから、と言うか満足してしまう人だから、後悔もない分現状に甘んじないで何かするとかってこともあんまりないだろうし、きっと到達できるポイントの上限がかなり低いんじゃないかと思う。
  1. URL |
  2. 2005/
  3. 03/31(木) 01:39:25 |
  4. hama #-
  5. [ 編集]

そうなってしまうと

もう人生の目的論になってしまうね。仕事では確かに高い目標を設定してそこに到達することが一番理に適っているけれど、果たして人生ではどうか。同じハードルを飛び越えてきても自分に合った人生を送ったと考える人は後悔がないし、それを自分に合わなかったと考える人は後悔が残る。それこそ人の数だけ答えがある。共通の目的として、より高い幸福度を挙げるとしても、そこに客観的な基準(それなりと最大を計る基準)なんて存在し得ないし、ましてや他人がどれだけ幸福なのか、なんて分かるはずもない。
結局妥協は自己完結の方法のひとつってことなのかな。

付け加えると、「後悔→反省」という流れにうまく乗せられればいいけれど、「後悔→自己嫌悪」や「後悔→責任転嫁」といった良くない方向へ流れる場合もあるから、プラスイメージで考えられないのよ。だから後悔したくない、っていうのが大半の人間の思うところだと思う。
ま、後悔をどう結び付けるかは個人の資質が大きいと思うけどね。反省できるというのが高いポイントへ到達する条件であって、後悔はその契機に過ぎないのでは?
  1. URL |
  2. 2005/
  3. 03/31(木) 02:38:11 |
  4. -1-1 #-
  5. [ 編集]

もちろん、この話は仕事に限ってのことだよ。
それに、契機と条件に大きな意味での違いはないと思うけど。
  1. URL |
  2. 2005/
  3. 03/31(木) 17:17:35 |
  4. hama #-
  5. [ 編集]

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